国際協力 NGO ジャパン・プラットフォーム(JPF)| Japan Platform

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SDGsは課題解決のための共通言語 -連携を推進するプラットフォームを目指して-

SDGsで見る各国事情

世界共通の目標であり、JPFも達成を目指すSDGs。ゴールの2030年まで10年。
その取り組みはますます重要となってきますが、世界各国では、どのような課題に向き合っているのでしょうか。SDGsという観点を踏まえ、JPFスタッフが所縁のある国々の事情について紹介します!

2020年9月17日 フィリピン 第25回:フィリピン「世界最高の島のオーバーツーリズム問題」 
14 海の豊かさを守ろう 15 陸の豊かさも守ろう

こんにちは、JPF事業管理部の越川です。前職時に5年間、フィリピンに駐在していたのですが、今回はフィリピンの観光名所「ボラカイ島」について紹介します。

ボラカイ島は、首都マニラから南に200km、真っ青な海に囲まれた南北7km、東西2kmの細長い島です。西海岸には4kmにわたって白砂ビーチが延び、見た目そのままホワイト・ビーチと呼ばれています。2012年には、アメリカの旅行雑誌『トラベル+レジャー』によって世界最高の島と評価されました。ビーチ沿いには数多くのリゾートホテルが並んでいて、レストランやバーも集まるアジアンリゾートらしい雰囲気。私も初めての出張時にその美しさに魅了され、その後、家族や友人たちと何度も訪れました。

ボラカイ島の美しい砂浜ボラカイ島の美しい砂浜

さて、フィリピンにとっても貴重な観光収入源でもあるこのボラカイ島ですが、観光客は2012年45万人⇒2013年140万人⇒2017年200万人以上となり、その観光収入は600億ペソ(約1,320億円)まで拡大していました。そこで懸念されるのが、増え続ける観光客に対応するための自然破壊や環境汚染。ホテル・飲食店の建設に伴い、海は汚染されて砂浜も白さを失ってしまいました。一部の施設が禁止区域に建てられたため、藻の大量発生なども招いたと言われています。過激な言動でも知られるフィリピンのドゥテルテ大統領は当時「ボラカイは汚水溜めになってしまった」と発言しています。

これに対応するために、ドゥテルテ大統領は、島を元の美しい状態に戻すため島の閉鎖を決断し、最大半年間、観光客の立ち入りを禁止にしました。これは相当厳しい決断だったに違いありません。島の観光産業で働くおよそ45,000人が職を失い、更には700億円近くの経済損失が推定され、多くの人々が閉鎖に反対したそうです。まさに、島の持続的発展を実現させるため、目先の利益を犠牲にせざるを得なかった苦渋の決断だったに違いありません。
結果的に島は半年間閉鎖され、その間に違法に建築された200軒以上のホテルや飲食店が取り壊され、今後受け入れる観光客の数を制限し、島の生態系を維持するための厳しい規制を新たに設けて、改めて観光客の受け入れを再開しました。島の再開を記念する式典にて、当時の観光大臣は、美しさを取り戻したボラカイを訪れた人々に向けて次のように呼びかけました。「この島を私たちの家と思って大切にしよう。きれいで手つかずのまま守ろう。ビーチでの飲酒や喫煙、ゴミ捨ては厳禁だ」。

島の再開後にホテルや飲食店等に掲示された観光客への啓蒙ポスター島の再開後にホテルや飲食店等に掲示された観光客への啓蒙ポスター

環境と経済の両立が如何に難しいかを、このボラカイの件は我々に問いかけていると思います。ですが、それが実現されなければ美しい島も地球も守れません。一人ひとりが意識することが、持続可能な社会への第一歩と、改めてボラカイが教えてくれました。

  • 第25回:フィリピン「世界最高の島のオーバーツーリズム問題」

  • 第25回:フィリピン「世界最高の島のオーバーツーリズム問題」

2020年9月10日 ミャンマー 第24回:カメルーン「水って本当に、重い!」 
6 安全な水とトイレを世界中に

こんにちは、JPF事業推進部のおかわりです!
カメルーンに行く前は、「途上国の子どもたちは毎日何時間も水を汲みに行っているんだよ」という言葉を聞いても漠然と「大変そうだなあ」としか感じませんでした。「蛇口をひねって水が出るのは当たり前じゃないんだよ」と聞いても同じで、「そうなのかぁ」と思うだけ。正直そんな生活が『遠すぎて』、イメージはしにくいままでした。

しかし、実際に協力隊員としてカメルーン・西部州バントゥムのインフラの整っていない村に住み、自分自身で井戸汲み生活をしたことで、水を汲みに1日数時間歩くことの大変さを、身をもって想像できるようになりました。

水を汲む村人水を汲む村人

私の住んでいた村には水道が通っていなかったので、使う水は井戸か川に汲みにいかなければなりません。私の家から井戸までは、5分ちょっと。5分かぁ、そんなに大変な距離じゃないな、と思っていたのは私の勘違いで、20リットルの水を抱え、舗装されていないでこぼこの道を歩いて井戸と家を2往復することの大変さと言ったら・・・!

そんなわけで、私のカメルーンでの生活は「いかに水を使わないで済ませるか」という方にシフトしました。まずは朝、顔を洗った水は捨てずに、野菜を洗う水に回します。さらにその水を使ってお鍋や包丁を洗い、水が茶色になってからトイレを流す水に使います(水を流すのには1回10リットル必要なので、1日1回にまとめて流していました)。お風呂に入る時もぎりぎりまで節水したいので、髪は長いままでしたが7リットルで全身を洗っていました。

それもこれも、すべては井戸に水を汲みに行くのが本当に大変だったため。たった5分の距離でもあんなに骨の折れる仕事だったのだから、「毎日」「数時間」水を運ばなければいけない子どもたちの苦労を考えると頭が下がります。

水を運ぶ子どもたち水を運ぶ子どもたち

水不足は、トイレを流せない、トイレ後に手を洗えない、というふうに、衛生面にも大きく影響します。「安全な水とトイレを世界中に」。これは本当に大事で達成すべき目標だと、身をもって感じた経験でした。

2020年9月3日 ミャンマー 第23回:ミャンマー「民族衣装ロンジーとディーセントワーク」 
8 働きがいも経済成長も

自宅の軒下の機織り機でロンジーを織る女性(ミャンマー・ラカイン州)自宅の軒下の機織り機でロンジーを織る女性(ミャンマー・ラカイン州)

こんにちは、JPF事業評価部のSです。
今回はミャンマーの民族衣装ロンジーをSDG8「働きがいも 経済成長も」の視点からご紹介したいと思います。

ミャンマーは、北は中国、インド、東はラオス、タイ、西はバングラデシュと国境を接し、日本のおよそ2倍の国土に約5100万の人々が暮らす国です。民族衣装である筒型の腰巻きロンジーは、男女ともに正装として、また普段着としてもミャンマーの人々の生活に溶け込んでいます。色や柄は多様で、民族ごとに伝統的な独自のデザインがあるとされ、130を超える民族の多様さ、文化の豊かさをロンジーの柄一つからも感じることができます。

ロンジーを織るのは主に女性たちの仕事です。美しい柄の一方で、仲買人システムによる低賃金、限られた販売先、後継者不足、整っていない労働環境など課題も多くあります。

2015年の調査(※1)では男性の経済参加80.2%に対し、女性は51.6%と大きな差があり、女性の経済参加がまだまだ進んでいない現状が明らかになりました。ミャンマーでは2018年に国際労働機関(ILO)とディーセントワーク(働きがいのある人間らしい仕事)国別計画(DWCP)の実施に関する覚書を交わし、2021年までの計画で取り組みを進めています(※2)。

※1:Myanmar Labour Force, Child Labour and School-to-work transition survey
※2:https://www.ilo.org/yangon/publications/WCMS_645042/lang--en/index.htm

女性が多く従事する機織りや縫製産業でも取り組みが進み、それぞれの民族の伝統的なロンジーがこの先も受け継がれていってほしいと思います。

2020年8月27日 カナダ 第22回:カナダ「移民や難民にも優しい人種のモザイク」 
10 人や国の不平等をなくそう 16 平和と公正をすべての人に
  • トロントの友人の娘がクラスメイトと水遊び。国籍は多種多様
    トロントの友人の娘がクラスメイトと水遊び。
    国籍は多種多様

  • 様々なバックグラウンドを持った子どもたちが乗るスクールバス
    様々なバックグラウンドを持った子どもたちが乗るスクールバス

JPF事業管理部の古田中です。
今回は、私が幼少期を過ごしたカナダ・トロントについて紹介します。

トロントには世界中から集まった移民が多くおり、お互いの出身地域の文化を尊重しあい生活ができていることから「人種のモザイク」と呼ばれることがあります。背景には歴史的な要因やその過程でとられてきた政策が影響しているそうですが、難しいことは分からない小学生の私でも、多種多様なバックグランドを持つ友人たちと過ごす学校生活を通して学ぶことは多くありました。

この業界で働き始めたきっかけも、様々な文化を理解し、互いに成長しあいたいと感じた幼少期の体験が少なからず関係しています。

▼多文化主義と多国間主義の国、カナダ<外務省HP 2009年>
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol38/index.html

近年では、難民受け入れにおいても、政府だけに頼るのではなく、官民連携による受け入れプログラムや民間主導での受け入れも実施している点で国際的に注目されています。この制度が実現できるのも、カナダには、生活の中で多様な文化を受け入れる土壌があるからなのではと感じています。

▼カナダの民間難民受け入れ(プライベート・スポンサーシップ)に学ぶ
<難民支援協会活動レポート>
https://www.refugee.or.jp/jar/report/2016/10/18-0000.shtml

コロナ禍の昨今、人の移動も制限され、意識しなければ他者に対して排他的になってしまいそうですが、このような時期だからこそ、自分とは違う文化や価値観を認め、共存していく新しい生活様式を考えていきたいですね!

2020年8月20日 アメリカ 第21回:アメリカ(2)「全米で住みたい街No.1、ポートランドを歩く【後編】」 
11 住み続けられるまちづくりを

こんにちは!事業管理部の川戸です。前回に続いて、ポートランドの街をリポートします。

ローカルファースト

今回滞在したのは、ダウンタウンにあるポートランドのアイコン、エースホテル。築100年弱の古いホテルをリノベーションしたホテルです。ロビー階には、ポートランド発祥のスタンプタウン・コーヒー・ロースターズの店舗があり、ロビーラウンジでは、宿泊客のみならず、地元の人たちがコーヒーを片手におしゃべりを楽しむ姿が見られ、憩いの場となっていました。

全米で住みたい街No.1、ポートランドを歩く【後編】

ちなみに、客室は、ポートランド発祥のペンドルトンのブランケットがベッドカバーに使われていたり、ポートランドのアーティストの作品が置かれていたりと、ポートランドを体感できる空間になっていました。

全米で住みたい街No.1、ポートランドを歩く【後編】

地元の人々の生活に欠かせないのが、ポートランド発祥のスーパー、ニューシーズンズ・マーケットです。ポートランドでは、「ニューシーズンズ・マーケットができるエリアは、地価が上がる」と言われているそうです。なぜだと思いますか?ニューシーズンズ・マーケットでは、地産地消への積極的な取り組みや、ポートランド発祥のメーカーとのオリジナル商品の開発といったことに加え、利益の10%を地元の非営利団体に寄付しています。さらに、マイバッグを持参したお客さんには、代金から5セントの値引きを受けるか、もしくは、その5セントを地元の非営利団体に寄付するかを、自分の意思で選択できる仕組みを設けています。こうしたお客さんも巻き込んでコミュニティに貢献する姿勢が、地元の人々に支持されているのです。

全米で住みたい街No.1、ポートランドを歩く【後編】

ポートランドを訪れて驚いたのは、いわゆる大手チェーン店が少ないことです。スターバックス・コーヒーやホールフーズ・マーケットもあります。でも、目立ちません。クラフトビールを楽しめるカフェ・バーやサードウェーブ・コーヒーショップ、あちこちで開催されるファーマーズ・マーケットに出店しているさまざまなお店、街の広場に集まっているキッチンカーなど、大小さまざまなローカルビジネスがたくさん存在しているのです。ポートランドのランドマークである世界最大の独立系書店、パウエルズ・ブックは、その代表例と言えるでしょう。

全米で住みたい街No.1、ポートランドを歩く【後編】

地元の人々に愛される街、ポートランド。個を大事にするダイバーシティ&インクルージョンと、地域を大事にするローカルファーストの考えは、一見相反するように見えます。でも、自分らしく生きたい、自分のこだわりを大事にしたい、といった意思を持つ人は、他者のそういった意思も受け入れ、尊重することができるのでしょう。そして、そこから共感やつながりといったものが芽生え、強固なコミュニティへと発展していくのでしょう。また、ポートランドへの評価は、ナイキ、インテル、アディダスなどが、本社や北米本社を構えていることからも、わかります。

ほんの数日間の滞在でしたが、ポートランドは、わたしや息子の生き方にも、少なからず影響を与えてくれました。

2020年8月19日 アメリカ 第20回:アメリカ(1)「全米で住みたい街No.1、ポートランドを歩く【前編】」
11 住み続けられるまちづくりを

こんにちは!事業管理部の川戸です。
みなさん、ポートランドを、ご存じですか。アメリカ西海岸・オレゴン州にある「全米で住みたい街No.1」として知られている街です。ポートランドの魅力がどこにあるのか、実際に自分の目で確かめたくて、昨年の夏に息子と訪れてみました。

まず惹かれたのが、ポートランドのスローガン 「Keep Portland Weird」(ポートランド、ヘンテコのままでいようよ)。「川戸さんって、変わっているよね」と言われると嬉しくなってしまうわたしは、このスローガンを知って、心が躍りました。

全米で住みたい街No.1、ポートランドを歩く【前編】

ダイバーシティ&インクルージョン

ポートランドは、北海道・札幌市の人口と面積をそのまま3分の1にしたくらいのコンパクトな街です。1ブロックの距離は60メートルと、アメリカの他の街と比べて半分の長さで、とても歩きやすく、また、ライトレールやバス、ストリートカーと呼ばれる路面電車が走り、自転車ルートも整備されていて、公共交通機関が充実しています。

ストリートカーに乗ると目に入るのが、「人種、宗教、出身地、性的指向、ジェンダー、能力にかかわらず、すべての人を歓迎します」というメッセージ。正論です。でも、それを当たり前に実行しているところが、ポートランドがWeirdである所以なのではないかと思いました。

全米で住みたい街No.1、ポートランドを歩く【前編】

街角には、アコーディオンを演奏する人、ギターを演奏しながら歌う人、アカペラで歌う人がいて、ブロックごとにさまざまな音楽が鳴り響いています。
そして、街のあらゆるところに、ストリートアートが。

全米で住みたい街No.1、ポートランドを歩く【前編】

ポートランドに対して、自分らしく生きられる街、自分のこだわりを大切にできる街、といったイメージが膨らんでいきました。
(つづく)

2020年8月6日 ホンジュラス 第19回:ホンジュラス「子どもと格差」
10 人や国の不平等をなくそう

ホンジュラスの子どもたちホンジュラスの子どもたち

こんにちは!JPF助成事業推進部の進藤です。今回は、ホンジュラスの子どもの現状について、少し見てみたいと思います。

ホンジュラスはメキシコやグアテマラの南方、パナマやコスタリカの北方にある中米の国です。あまり日本とは馴染みがないように感じられますが、気付かないうちにホンジュラス産のコーヒーやメロンを消費されている方々もいらっしゃるのではないかと思います。ホンジュラスの首都テグシガルパは、海抜1,000メートル程度に位置し、1年を通じて平均気温が20度前後の非常に過ごしやすい気候で、「常春の地」と言われることもあります。

穏やかな気候とは対象的に、中南米は世界的に格差が大きい地域であり、貧富の格差から生じる犯罪も多いことから、様々な課題を抱えています。そのなかでも、ホンジュラスでは毎日、子ども1人が、暴力が原因で亡くなっていると言われ、紛争下にない人口約1,000万の国としては、驚異的な数字とされています。更に、こうした暴力から逃れるべく、おとなの同伴者なしに米国やメキシコなどに移民しようとする子どもが大量に生じており、社会問題となっています。

格差、貧困、暴力、教育の機会の欠如、更なる格差といった負の連鎖が生じ、近年では、おとなの同伴者のいない移民の子どもが十分な保護を受けられず、強制送還されているといった問題も指摘されています。格差の無い社会を目指すには、まず、格差がもたらす劣悪な環境で生きる子どもたちに目を向けて対策を講じていく必要があるように思います。

2020年7月22日 チェコ 第18回:チェコ(3)「日本のシンドラー、ここにあり」
10 人や国の不平等をなくそう

プラハ城下のマラーストラナ広場プラハ城下のマラーストラナ広場

JPF広報の坪井です。
(前回のつづき)
チェコ留学時代に訪ねた友人の故郷が、オスカー・シンドラーの出身地だったという話をしましたが、今回は、留学を終えて帰国し、仕事で再びプラハに戻ってからのことです。

ある日、現地の旅行会社で働く友人から、杉原千畝さんの足跡を訪ねるツアーにプラハが含まれていることを聞きました。リトアニアのカウナスにおいて、ユダヤ人のために2,000以上の査証を発給し、日本(東洋)のシンドラーとも言われる杉原さんが、プラハにいたことはまったく知りませんでした。調べてみると、カウナスの後、数か月ではありますが、プラハ総領事館(当時)に赴任されていました。

杉原さんが査証の発給を決断した理由、それは人道と博愛主義の精神だったそうです。平たく言えば、「困っている人を助ける」、「誰に対しても平等に」となるのでしょうか。それらはSDGsが掲げる「誰一人取り残さない」世界の根底にあるものと強く結びついているような気がします。

参考:杉原千畝記念館
http://www.sugihara-museum.jp/

さて、杉原さんのプラハ赴任のことを知った仕事時代も留学時代と変わらずチェコビールばかり飲んでいましたが、それでも当時は、いずれ人道支援のNGOで働きたいなと漠然と考えていました。それから約10年、随分と時間が経ちましたが、今、私はここ(JPF)にいます。

2020年7月20日 チェコ 第17回:チェコ(2)「シンドラー、ここにあり」
10 人や国の不平等をなくそう

プラハ南東部のヴィシェフラットに建つ聖ペトル・聖パヴェル教会プラハ南東部のヴィシェフラットに建つ聖ペトル・聖パヴェル教会

JPF広報の坪井です。
(前回のつづき)
いきなり古い話になりますが、第二次大戦中、ナチスによるユダヤ人の絶滅政策に抗い、1,000人以上のユダヤ人の命を救ったとされるのが、スピルバーグ監督の映画でも知られるオスカー・シンドラーです。ちなみに、どこの出身かご存知でしょうか。。。

チェコの友人の実家のあるスヴィタヴィを訪れた2日目のことです。車で移動中、あらためて友人に何か観光名所はないのかと聞いてみましたが、やはり何もないという回答。しばし車窓から街を眺めていたところ、ホテル・シンドラーという看板が目に飛び込んできました。

ホテル名の由来を尋ねると、ユダヤ人を救ったことで有名なシンドラーはこの街の出身で(ドイツ系住民)、生家のあった場所もわかるとのこと。現地に連れて行ってもらうと、建物には、特にシンドラーの生家云々は示されていませんでしたが、向かいにある公園に五芒星の形がくりぬかれた石碑が建っていて、そこにシンドラーの功績が刻まれていました。なお、友人と一緒に前を通り過ぎた街の博物館には、シンドラーに関する常設展があったようですが、そのことは後年知りました。。。

スヴィタヴィ市立博物館
http://www.muzeum.svitavy.cz/stale-exp/oskar-schindler/213-2/

差別や迫害から多くの人命を救ったシンドラーとの偶然の邂逅。人道支援組織で働くことなどまったく頭の片隅にもなく、チェコビールばかり飲んでいた留学時代でしたが、色々と振り返ってみると、人道にも何かしら関わるような思い出や出来事が見つかるものですね(つづく)。

2020年7月16日 チェコ 第16回:チェコ(1)「我、故郷にあり」
16 平和と公正をすべての人に

ヴルタヴァ河畔から望むプラハ城ヴルタヴァ河畔から望むプラハ城

JPF広報の坪井です。この連載もルーマニアから始まり、アジア、南米、アフリカと巡ってきましたが、今回は、私が留学と仕事で6年を過ごしたチェコでの話です。

留学時代のある週末、チェコの友人の実家にお邪魔することになりました。彼の実家は、プラハから東にバスで3時間のスヴィタヴィSvitavyという小さな街でした。到着後、市街地を散策したいと言ったのですが、何もないからと、車で数十分のポリチュカPolickaという街に連れていかれ、チェコの4大作曲家の1人であるボフスラフ・マルティヌーBohuslav Martinu(知っていますか?)の生家やお墓を回りました。

国際マルティヌー協会 日本支部
https://www.libusemusic.com/report.html

マルティヌーは故郷を離れてパリで学び、そして、第二次大戦の戦火を逃れて、アメリカへと渡り、その後、欧州に戻ったものの、共産党体制下の祖国に帰ることを断念し、生きて故郷の土を踏むことはありませんでした。遺灰となってポリチュカに帰ってきた彼の墓石には、作品の一節にある‘Jsem doma’(チェコ語で‘我、故郷にあり’の意味)が刻まれています。

戦争や政治体制の影響で、慣れ親しんだ国や地域に戻ることが叶わずに、異国の地で没した作曲家の想い、ひょっとすると国外に逃れ不安の中で暮らす難民と共通するものがあるかもしれません。望郷の想い、あるいは、平和を希求する想いが遂げられるように、暴力の防止や平和で包摂的な社会の実現に向けた取り組みが求められます(つづく)。

2020年7月9日 フィンランド 第15回:ケニア「ビクトリア湖畔の‘蚊取り’初体験 ~マラリア予防への地道な作戦~」
3 すべての人に健康と福祉を

こんにちは、JPF助成事業推進部の井出です。歳を重ねると、「生まれて初めての経験」というのはあまり多くありませんが、以前、私が別のNGO団体に所属し、ケニアに赴任している際、生まれて初めて「蚊取り」を経験いたしましたので、その時の様子をお伝えいたします。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ケニアのビクトリア湖周辺は、ケニア有数のマラリア発生地です。標高1,100Mですが、蒸し暑く、蚊が多い地域です。ここに、マラリアを研究している施設があり(当時、長崎大学熱帯医学研究所の先生がいらっしゃいました)、そちらを訪問した際、翌日早起きをして、蚊をわざわざ取りに行きました(笑)。

マラリアとは、マラリア病原虫が赤血球に寄生して起こる熱帯性の感染症であり、ハマダラカの媒介により感染します。寒気・震え・(40℃前後の)高熱が主症状で、発熱周期が一定し、48時間ごとに起こる三日熱マラリア・卵型マラリア、72時間ごとの四日熱マラリアと、周期が不規則で、心臓衰弱や脳症を起こして生命にかかわることもある熱帯熱マラリアの四つがあります。通常、蚊に刺されてから 10~14日の潜伏期を経て発病します。古くから人類を悩ました感染症で,熱帯では現在でも流行しており、エイズ、結核と並ぶ「三大感染症」と規定されています。世界保健機関は、世界中で患者は2億人おり、年間40万人以上が死亡していると報告しています(2018年)。

<マラリアの現状>
https://www.who.int/malaria/en/

<マラリアとは>
NIID国立感染症研究所
https://www.niid.go.jp/niid/ja/kansennohanashi/519-malaria.html

さて「蚊取り」について話を戻します。まず、早朝、蚊がいそうな地域に行き(主に湿地帯)、その地域に住むケニア人の方の家を訪問して(あらかじめ翌朝訪問を告げておき、鍵はかかっていないので、勝手に入ります。家の方は寝ています)、蚊を採取させていただきます。採取の方法は、懐中電灯を片手に、蚊を探し、下記写真のような機器を使って採取します。この機器は懐中電灯のような形をしており、蚊を吸い込む小型の掃除機のような(ファン付)もので、蚊を見つけたら吸い取り、中間にあるプラスチックの透明容器の中に蚊が入る仕組みです。

蚊を吸い込む小型の掃除機のような(ファン付)もの

初めてでしたが、開始から20分で5匹ほど取れました。一緒に行ったケニア人のアシスタント君は、私の倍の10匹をいとも簡単に取っていました。まさにプロ技です。長崎大学の先生曰く、朝の蚊は、吸血しているのでもうこれ以上刺さないし、行動も鈍いので採取には最適なのだそうです。

この採取した蚊は、その後、研究室に運ばれ実験に使用されます(長崎大学の先生は、先日3000匹の蚊を採取し、分析器にかけたそうで、その後はしばらく蚊を見るのが嫌だったそうです)。マラリアはハマダラ蚊が媒体とはよく知られていますが、ハマダラ蚊にもいろいろ種類があり、最近、新しい種がでてきたと先生はおっしゃっていました。いまだ解明できていないことも多いので、今後も研究を継続するとのこと。こうした地道な「蚊の研究」のおかげで、マラリア予防薬・予防策が考案されているのですから、感謝しなければなりません。

今年もまた暑い夏がやってきます。
蚊の季節!!ぜひ、そんな研究者たちの地道な努力・活動のことを思い出してください。

2020年7月2日 フィンランド 第14回:フィンランド「暮らしの中でいいな!と思ったこと」
12 つくる責任 つかう責任

フィンランドの冬景色
フィンランドの冬景色

Moi!(フィンランド語で‘こんにちは’)
JPF広報部のYです。
私が大学4年間を過ごした北欧の国、フィンランド。
福祉が充実しており、教育の機会も全国民に与えられていて、持続可能な開発に関しては世界をリードしていると言われている国です。

一方でこれから解決していかなくてはならない課題もあります。ジェンダーの平等や生産と消費のバランス、そして肥満なども大きな問題となっているようです。さて今回は、自然豊かなフィンランドで日常生活にみられる環境に良い取り組み!を紹介します。

フィンランドは税金が高く外食はなかなかできなかったため(たまにマクドナルドに行くのがご褒美でした、マクドナルドも高いな~と思ったのを覚えています)、スーパーで食材を買ってくるのが日常でした。

今は日本でも多く見かけますが、フィンランドのスーパーにはペットボトル回収機があり、家で出たペットボトルやびんなどを入れるとスーパーでお金として使えるチケットが出てくる仕組みでした。

ボトルの大きさなどによっては高く買い取ってくれるため大きなボトルがあった時はラッキーという気分で、どのスーパーならペットボトル回収機があるか?という心配もなかったので積極的にリサイクルしようという気になりました。

スーパーの中でも、野菜や果物はパッケージに入っていなく、山積みにされている中から自分で欲しい分だけ袋に入れて買います。最後に会計するときのレジ袋は有料でしたので、いつもマイ買い物袋を持っていきました。

世界の他の国でもこういったシステムを取り入れているところは多いと思います。
日本も今月から全国でレジ袋が有料になりました。

今まであったシステムが変わるとちょっと戸惑いますが、最終的には私たちが将来も住み続けられるような地球のためだなあと思うと必要な変化なのだなと思います。環境にやさしいシステムをもっと取り入れていければいいなと思います。

参考
United Nations Sustainable Development Goals Knowledge Platform:
https://sustainabledevelopment.un.org/memberstates/finland

2020年6月29日 ブラジル 第13回:ブラジル(2)「空と大地と神父の思い出~ブラジルと福島~」
14 海の豊かさを守ろう 15 陸の豊かさも守ろう
  • “民族衣装を着たトレメンベ族の夫婦
    民族衣装を着たトレメンベ族の夫婦

  • トレメンベ族の家屋
    トレメンベ族の家屋

JPF地域事業部 福島担当の山中です。
(前回のつづき)
私は、ジョン・ペッソア州での活動の後、友人に連れて行ってもらいフォルタレーザ州の海洋先住民族であるトレメンべ族の地域に滞在しました。当時、このトレメンべ族の居住地域にあったヤシの木畑が、シャンプーや洗剤などの原材料として大量に伐採され続けていることに対し、トレメンベ族の自然と調和した暮らしと資源を守ろうという動きが活発化していました。同様の運動は世界的な広がりを見せ、現在のSDG14「海の豊かさを守ろう」、さらにSDG15「陸の豊かさを守ろう」に関わる企業や団体の取り組みにも繋がっていったと考えられます。

その後、私は中国の東北地方に派遣されることになりますが、このブラジルでの経験は、自分の中に、深く根付いています。私にブラジル行きを紹介してくださった石川裕之神父は、その後自らブラジルの北部カスタニャール地方に派遣され、2007年に日本への一時帰国からブラジルへと戻る途中のニューヨークで亡くなられましたが、つねに大自然に奉仕したいと仰っていたことが思い出されます。『紺碧の空と真っ赤な大地から』という著述が残っていますが、いつもブラジルの大自然から日本にメッセージを発信し、最後まで自然を愛し、守るための活動を続けていました。

福島の空の下、毎年美しく咲き誇る桜、川を遡上する鮭、飛来する白鳥や駆け回る馬、清流ではねる岩魚、そして、手付かずの原生林の新緑を目にすると、地球の裏側のブラジルで、自然にあこがれ、自然と調和した生き方を追い求めた神父のことが思い出されます。また、「海や陸の豊かさを守る」ことが、まさに現在の福島の課題や使命でもあるのだと説かれているような気がしてなりません。

2020年6月25日 ブラジル 第12回:ブラジル(1)「地球の裏側で貧困問題と向き合う」
1 貧困をなくそう

ジョン・ベッソア州にて
ジョン・ベッソア州にて

JPF地域事業部 福島担当の山中です。私は大学卒業後、教員をしながら外国人労働者支援の団体でボランティアをしていましたが、教員を辞めて、1996年からはJLMMというカトリック系のNGOに入会し、大学時代からお世話になっていた石川裕之神父の紹介でブラジルに行くことになりました。石川神父も同団体のOBで、ブラジルやフィリピンで農業支援をされていました。特技は、豚と会話できることと言っていたのですが、フィリピンのプロジェクトで飼っていた豚がみんな逃げ出し、みんなで必死になって捕まえたというエピソードを聞かされたこともあります。

ブラジルでは、まず、パラナ州のサンヒエロニモという所で、ストリートチルドレンの識字教育や農業プロジェクトを行うウマニタスという施設で過ごしました。その後、友人の紹介で、ブラジルの中でも特に貧しいと言われるジョン・ペッソア州の、さらに最貧地域のサリン村にあるイエズス会の神学校にお世話になりました。

その頃のブラジル始め中南米では、貧しい人たちや弾圧された人たちのための活動も活発化していました。この神学校にも日本人の神父がいて、指導者として神学生たちを貧しい地域に派遣し、貧困をなくすためのコミュニティ支援を行っていました。私もここで寝泊まりし、神学生たちとファベイラ(貧民街)のコミュニティに足を運びました。

また、土地を持たない人々が、耕作放棄地などを開墾して、学校や病院まで建ててしまうセンテーハ(土地なし)農民運動が盛んな時期でもありました。ファベイラ、そして、センテーハ運動で開墾された地区への訪問、それはブラジルの貧困、そして、そこから何とか抜け出ようとする人々のある種の逞しさを実感する体験となりました。(つづく)

2020年6月18日 インド 第11回:インド「旅することが支援につながる!」 
1 貧困をなくそう 4 質の高い教育をみんなに
  • “Reality Gives”のコミュニティセンター内(2014年撮影)
    “Reality Gives”のコミュニティセンター内(2014年撮影)

  • インド最大の洗濯場「ドービーガート」(2019年撮影)
    インド最大の洗濯場「ドービーガート」(2019年撮影)

こんにちは!インドマニア歴32年、JPF事業管理部の川戸です。今回は、わたしが2014年と2019年にインドを訪れたときに参加したツアーを提供している、インドの旅行会社 “Reality Tours and Travel” と、その姉妹NGO “Reality Gives” の取り組みについて、紹介します。

旅行会社 “Reality Tours and Travel”(以下Tours) は、「インドを訪れる人に、スラムで生活する人々の現実を知ってもらい、それをファンドレイズにつなげることで、彼らの生活水準を向上させることが出来たら・・・」という想いのもと、2005年にインド第2の都市ムンバイに設立されました。

翌年には、ムンバイ最大のスラム「ダラビ地区」でウォーキングツアーを開始しました。初年度の参加者は367人にとどまりましたが、2007年にガイドブック「Lonely Planet」に掲載され、また、「ダラビ地区」が2008年に公開された映画「スラムドッグ$ミリオネア」の舞台になったことがきっかけで、参加者が大幅に増え、経営が軌道に乗りました。

2009年には姉妹NGO “Reality Gives”(以下Gives) を設立し、Toursで生じた利益を用いて、「ダラビ地区」の人々が英語やコンピューターのスキルを習得できるよう、教育プログラムを開講しました。やがて、ダラビで生まれ育った人が、教育を受けて、ツアーガイドとなり、収入を得て自立する・・・といった好循環が生まれました。

その後、Toursは、【See the Real India】 をコンセプトに掲げ、ツアーの種類を増やし、首都デリーにも拠点を設け、いまでは年間15,000人がツアーに参加するまでに成長しました。また、Givesは、これまでにダラビ地区の7,000人に教育プログラムを提供し、さらに同地区に小学校を開校し、毎年500人のこどもたちに高水準の教育を提供するまでに活動を広げました。

写真は、わたしがツアーに参加したときに撮影したものです。「参加することが支援につながり、さらに、自分の目で見たことをSNSで伝えることで、さらなる支援につながれば・・・」と思い、今回紹介いたしました。

なお、現在、インドでもCOVID-19の感染が広がっており、ツアーは全て中止、再開は未定という状況にあり、Givesでは寄付を募集しています。(わが家では、この取り組みを継続して欲しいという願いのもと、微力ながら支援させていただきました。)

Reality Tours and Travel:https://realitytoursandtravel.com/
Reality Gives:http://www.realitygives.org/

第11回:インド「旅することが支援につながる!」(Facebookで見る)

2020年6月12日 東ティモール 第10回:東ティモール(3)「プライマリ・ヘルス・ケアの今 ~東ティモールと福島~」 
3 すべての人に健康と福祉を

診療所でAFMETスタッフたちと
診療所でAFMETスタッフたちと

JPF地域事業部 福島担当の山中です。
(前回のつづき)
東ティモールにおけるプライマリ・ヘルス・ケア(PHC)プロジェクトは、当時の国連暫定統治機構や国の保健省にも認められ、国家プロジェクトになりました。そして、新たな医師を始めとする医療従事者の育成に際して、PHCの盛んなキューバに若者を留学させ、今では帰国した医師たちが自国の医療体制において、重要な役割を果たしています。また、私が駐在していた東部のラウテム県においても、PHCプロジェクトが定着し、誰もが健康的な生活を確保できる状態になっています。

ところで、日々、福島担当として現場に向き合う中、当時の東ティモールを思い返すと、現在の福島の避難指示解除地域を取り巻く環境と似ているような気がします。避難指示が解除されても、帰還する人と避難先で生活再建をする人など、元通りとはならず、地域の分断が生じていますが、特に懸念されているのは、医療従事者がいないため、まさにPHCやリフェラル(移送)システムが必要とされる状況となっていることです。

実際、子どもが体調を崩してもすぐに診てもらえる病院や診療所が近くになかったり、具合の悪くなった高齢者が一人で運転するのは危険なので、移住してきた若者に病院に連れて行ってもらったりという状況が続いています。また、調剤薬局等もありません。PHCの確立、そして、SDG3「すべての人に健康と福祉を」、これはまさに、地域や住民の方々の繋がりを回復させることが課題とされている、福島の避難指示解除地域においても求められるものではないでしょうか。

第10回:東ティモール(3)「プライマリ・ヘルス・ケアの今 ~東ティモールと福島~」(Facebookで見る)

2020年6月11日 東ティモール 第9回:東ティモール(2)「プライマリ・ヘルス・ケアの拡大」 
3 すべての人に健康と福祉を
  • 修了したコミュニティ・ヘルス・ワーカーたち
    修了したコミュニティ・ヘルス・ワーカーたち

  • 砂浜で子どもたちと
    砂浜で子どもたちと

JPF地域事業部 福島担当の山中です。
(前回のつづき)
JLMMとAFMETの緊急医療支援が入り、その後2000年には診療所とリフェラル(移送)センターが建設され、プライマリ・ヘルス・ケア(PHC)プロジェクトが始まりました。

当時、東ティモールでは、病院は3つだけ、医師などのエリート層はオーストラリアかインドネシアに避難しており、東ティモール人の医師は全国で二人だけでした。当初、AFMETは外部医療従事者による緊急医療を提供してきましたが、徐々に地元の資源を活かした、誰もが健康を手に入れられるような仕組み作りを開始しました。SDG3「すべての人に健康と福祉を」で目指す、健康的な生活の確保、福祉の推進です。

2001年、私はPHCプロジェクトのために、東部ラウテム県に入りました。ここは東ティモールの中でも辺境地で独立派のゲリラの拠点でもあったところです。プロジェクトでは、コミュニティ・ヘルス・ワーカー(CHW)を養成しました。CHWは予防教育を推進しながら応急処置にあたり、「そこから診療所に患者を連れて行く」、「診療所の医師に往診してもらう」、「さらに診療所でも診察できなければ病院に運ぶ」といった仕組みを作りました。また薬草園を作って活用したりもしました。

CHWの中には独立派の元ゲリラ兵がいたり、PHC拡大を目指す地域には、併合派(独立反対派)の地域もあったり、状況は複雑でした。2002年には、真実和解委員会というものが発足し和解のプロセスが重要な課題となりました。(つづく)

第9回:東ティモール(2)「プライマリ・ヘルス・ケアの拡大」(Facebookで見る)

2020年6月10日 東ティモール 第8回:東ティモール(1)「緊急医療支援へ」 
3 すべての人に健康と福祉を
  • AFMETスタッフと聖母訪問会のシスターたち
    AFMETスタッフと聖母訪問会のシスターたち

  • 東ティモールの美しい砂浜
    東ティモールの美しい砂浜

JPF地域事業部 福島担当の山中です。私は主にアジア・太平洋地域にボランティアを派遣しているJLMMという団体を通じて、1997年から2000年まで中国の東北地方に駐在後、2001年からはJLMMのOB派遣として、東ティモール(※)のAFMET(東ティモール医療友の会)でプライマリ・ヘルス・ケア(PHC)拡大のためのプログラムコーディネーター及びプロジェクトマネージャーをしていました。今回から3日連続で、当時の東ティモール情勢と医療体制などについて紹介いたします。
※2002年5月に独立

1999年8月、東ティモールでは住民投票の結果、インドネシアからの独立が決まりました。しかし9月にはブラックセプテンバーと呼ばれるように、併合派の民兵による大量虐殺と大規模破壊が行われ、国の90%以上のインフラや公共施設は破壊され燃やし尽くされました。つまりインドネシア統治時代に作られたものは、すべて破壊されてしまったのです。

JLMMとAFMETでは、予ねてから、医師、看護師、薬剤師等の医療従事者をフィリピンやインドネシアに配置し、いつでも東ティモールに入る体制を整えていました。彼らは、10月に国連軍が入った後、11月には緊急医療支援に入りました。(つづく)

第8回:東ティモール(1)「緊急医療支援へ」(Facebookで見る)

2020年6月4日 アフガニスタン 第7回:アフガニスタン「女子教育の今」 
4 質の高い教育をみんなに

教室で授業を受けるアフガニスタンの女子児童たち
教室で授業を受けるアフガニスタンの女子児童たち

こんにちは!JPF助成事業推進部の進藤です。今回は、アフガニスタンの女子教育の現状について、ザクっと見ていきたいと思います。

日々、紛争、爆発事件や災害のニュースが報じられるため、アフガニスタンの発展を感じられない方が多いのではないでしょうか。長引く紛争、脆弱な社会インフラ、頻発する自然災害といった問題に目を向けると、アフガニスタンの前途多難な将来を悲観してしまうかもしれません。

90年代後半には100万人程度の子ども達しか就学できず、ほとんどの女児は教育の機会を奪われていたと言われます。しかし現在は、日本をはじめ国際社会の支援もあり、1,000万人以上が就学し、その数は10倍以上にまで増加しています? 初等教育については、男児は100%程度、女児についても80%以上の就学率に改善しています(※)。

※UNESCOによる国別データ  http://uis.unesco.org/country/AF

私もカブールを訪れる機会があり、通りを車窓から覗くと、多くの女児が元気に通学している様子を見ることができ、アフガニスタンの教育環境の改善を実感することができました。

もちろん、課題は未だ山積しています。特に現在も未就学児童約370万人の内60%は女児だと言われています(※)。しかし、個人的にはアフガニスタン内外で教育を受けた、若く優秀な若者たちとの出会いを通じて、彼らが第一線で活躍する頃には、多くの課題を解決していってくれるだろうと楽観視もしています。現在、アフガニスタン政府内の要職には、徐々にではありますが、女性が就いているケースも見られ、学校で勉強に励む多くの女児にとって良いロールモデルが育っているように思います。

※UNICEFによる発表 https://www.unicef.org/afghanistan/education

引き続き、アフガニスタンは未就学児童ゼロ、女子教育の更なる普及に向かって歩んでいくでしょう。

第7回:アフガニスタン「女子教育の今」(Facebookで見る)

2020年5月28日 スロバキア 第6回:スロバキア(3)「不平等のない開かれた社会へ」 
10 人や国の不平等をなくそう

ブラチスラヴァのマルティン大聖堂
ブラチスラヴァのマルティン大聖堂

こんにちは!JPF広報の坪井です。スロバキアは人口が約540万人の小国ですが、複数の民族が暮らす多民族国家でもあります。スロバキア人が約430万人(80%)、ハンガリー人が約43万人(8%)、そして、次いで多いのは約11万人(2%)のロマ人(ジプシー)です(※)。スロバキア居住のロマ人については、数十万人に上ることが指摘されていますが、調査の及ばない集落に住む人々も多く、実態を把握するのは難しいようです。
※2011年のスロバキア国勢調査(次回は2021年の予定)  https://onl.tw/hLVE6dc

欧州では、南欧や中東欧地域に数多くのロマ人が居住していますが、現地の人たちと話していると、ロマ人に対する偏見や差別が、少なからず感じられました。一方で、ロマ人支援に取り組むNGOも数多く存在しており、スロバキア時代には、ロマ人の地位向上や子どもへの教育支援などを実施するNGO関係者ともお話しする機会がありました。

ところで、ブラチスラヴァでは、ロマ支援以外のNGOにも何度か訪れましたが、ある時、同じ建物に何回も来ていることに気が付きました。よく見ると、入り口の表札には、投資家のジョージ・ソロス氏が設立したオープン・ソサエティ財団の名が。同財団が市内に保有する建物全体を、社会貢献の一環として複数の非営利団体に提供しているとのことでした。多民族の共生には困難も多く、スロバキアも例外ではありませんが、不平等のない開かれた社会、その実現を目指す人々がいることも確かな事実です。

第6回:スロバキア(3)「不平等のない開かれた社会へ」(Facebookで見る)

2020年5月23日 スロバキア 第5回:スロバキア(2)「旧市街のモビリティ」 
13 気候変動に具体的な対策を

ブラチスラヴァ旧市街の通り
ブラチスラヴァ旧市街の通り

こんにちは!JPF広報の坪井です。今回もスロバキアについて紹介します。テーマは環境負荷の軽減です。

スロバキアの首都(わかりますか?ブラチスラヴァです)の公共交通としては、地下鉄がないことを除けば、欧州各国と同様に鉄道、バス、路面電車などが挙げられますが、その他、おそらく、今の日本人には、あまり馴染みのないトロリーバスも見られます。どんなバスかご存知でしょうか?道路の上にある架線から電気を得て動力としており、排気ガスを出さず、路面電車のように軌道を敷設する必要もありません。しかし、時々、バスから架線に渡した集電ポールが外れ、運転手が長い棒を使って、架線に戻しているのを見かけたことがあります。

ところで、ブラチスラヴァにも、当然、多くの自動車が走っており、幹線道路では渋滞も起こります。一方で、ブラチスラヴァの旧市街中心部は、車両の進入を規制しているため、許可のない車は入ることはできません。モノの輸送・配達には不便なことかもしれませんが、排ガス、騒音、そして、事故の危険を気にすることなく、安全に街を行き来できるのは、ありがたいことです。

ちなみに当時の職場は旧市街の中にあり、ドナウ河沿いを歩いて旧市街へと向かう朝夕の通勤は、この上なく快適でした。環境にも人にも優しい旧市街のモビリティ、このような施策の広がりは、SDGs達成にも寄与するものではないでしょうか。

第5回:スロバキア(2)「旧市街のモビリティ」(Facebookで見る)

2020年5月16日 スロバキア 第4回:スロバキア(1)「白い林」 7 エネルギーをみんなに そしてクリーンに

丘の上に立つブラチスラヴァ城(ドナウ河の橋上から)
丘の上に立つブラチスラヴァ城(ドナウ河の橋上から)

こんにちは!JPF広報の坪井です。今回はルーマニアから北上し、やはり赴任経験のあるスロバキアについて紹介いたします。皆さんは、スロバキアの首都の名前をご存知でしょうか?おそらく答えられる方はあまり多くないと思いますが、ブラチスラヴァと言います。ドナウ河畔に旧市街が広がり、街から続く丘の上には、ひっくり返したテーブルみたいと言われるお城が建っています。

さて、今回のテーマはエネルギーです。早速ですが、スロバキアの発電で最も割合が高いのは、何だと思いますか?実は、原子力発電で、54.7%(2018年)を占めています(※)。スロバキアでは、社会主義時代から、原子力発電が利用されており、2011年以降、EUの中では、ドイツやオーストリアが脱原発に舵を切った後も、エネルギー政策における、原子力利用の方針に変更はありません。
※出所:IAEA https://cnpp.iaea.org/countryprofiles/Slovakia/Slovakia.htm

ブラチスラヴァ赴任時代、しばしば、バスで1時間弱のウィーンに出かけていましたが、オーストリアに入ると、スロバキアとは、まったく異なる風景が見られます。そこには、おびただしい数の風力発電機が立ち並び、白く塗られた風車が林立する様子を、ドナウ河の水源であるドイツの「黒い森」になぞらえて、勝手に「白い林」と呼んでいました。なお、毎回、車中からぼおっと眺めていて、写真は撮っていません。興味のある方は、車でウィーンからブラチスラヴァに向かってみてください。

クリーンエネルギーを生み出す現代の白い林、この国境付近の景色には、両国のエネルギー政策の違いが明確に表れています。ところで、スロバキアのSDGs達成度は27位(2019年)ですが、目標7「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」は達成された目標となっています(※)。クリーンで安価で持続可能なエネルギー、その捉え方は一様ではないようです。
※Sustainable Development Report 2019
https://github.com/sdsna/2019GlobalIndex/blob/master/country_profiles/Romania_SDR_2019.pdf

第4回:スロバキア(1)「白い林」(Facebookで見る)

2020年5月7日 ルーマニア 第3回:ルーマニア(3)「森の豊かさと生物多様性」 
15 陸の豊かさも守ろう

木造の教会(ブカレスト農村博物館)
木造の教会(ブカレスト農村博物館)

こんにちは!JPF広報の坪井です。日本とルーマニアの貿易関係を見ると、日本からは自動車部品や電気機器などが輸出されていますが、ルーマニアから日本への主要な輸出品としては、木材があげられます。ルーマニアの森林面積は、約650万ha、国土の27.5%を占めており(※)、欧州でも森林資源に恵まれた国の1つです。
※出所:林野庁 https://www.rinya.maff.go.jp/j/riyou/goho/kunibetu/rou/info.html

ルーマニアは、SDGs達成度では42位(日本は15位)ですが、目標15「陸の豊かさも守ろう」は達成となっており、特に生物多様性に重要な陸地や河川などの保護については、高い評価を得ています(※)。
※Sustainable Development Report 2019
https://github.com/sdsna/2019GlobalIndex/blob/master/country_profiles/Romania_SDR_2019.pdf

一方で、ルーマニアの森林において、違法伐採が横行しているとの指摘もあるようです。豊かな森、豊かな水源、生物多様性を守るため、持続可能な森林の管理は、引き続き重要な課題と言えます。

第3回:ルーマニア(3)「森の豊かさと生物多様性」(Facebookで見る)

2020年5月1日 ルーマニア 第2回:ルーマニア(2)「黒海を越えて」 17 パートナーシップで目標を達成しよう

ブカレストの凱旋門
ブカレストの凱旋門

こんにちは!JPF広報の坪井です。2月末、トルコがEUとの国境を開放し、再び欧州への難民の大量流入が懸念されましたが、コロナウイルスの感染拡大に伴い、EUは第三国からの入国を制限し、多くの難民がトルコとEUの国境に置き去りにされてしまっているようです。

2015年の欧州難民危機では、地中海を越えて欧州に向かう難民の姿が注目を集めましたが、ルーマニア赴任時代(2016~2018)、夏になると、地中海に面していないルーマニアでも、難民についてのニュースを見聞きするようになりました。トルコの黒海沿岸地域から出る密航船、その目的地の1つがルーマニアです。ただしニュースになるのは、密航船が拿捕されるからなのですが。。。

すし詰め状態のボートでルーマニアに辿り着いた後、難民たちが目指すドイツや北欧といった他の欧州諸国への道のりは、とても険しいのが現実です。また、望んでいた国には行けなかったり、家族を呼び寄せられなかったり、仕事に就けなかったりといったこともあります。

欧州に向かった難民、そして、アジア、アフリカ、中東、中南米など、世界各地の難民や国内避難民が、生活していく上で、困難な状況に直面しています。SDGsの掲げる「誰一人取り残さない」世界の実現のためにも、難民問題への取り組みは欠かせないものではないでしょうか。

▼難民問題とSDGsについてはこちら
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)とSDGs
https://www.unhcr.org/jp/wp-content/uploads/sites/34/2019/07/201907_UNHCR-and-SDGs.pdf

第2回:ルーマニア(2)「黒海を越えて」(Facebookで見る)

2020年4月24日 ルーマニア 第1回:ルーマニア(1)「あまり知られていない地震国」 11 住み続けられるまちづくりを

ルーマニア
正面は「国民の館」(ブカレスト)

JPFは、SDGsという観点を踏まえ、スタッフが各国事情を紹介する連載を開始いたします。まずは、広報部の坪井より、赴任経験のある東ヨーロッパの国、ルーマニアについて、数回に分けて紹介させていただきます。

3月11日で東日本大震災から丸9年となりましたが、3月の同時期、個人的には、ルーマニアで過去に発生したという大地震のことも頭をよぎります。

ヨーロッパで大きな地震の発生する国としては、イタリアが有名ですが、実はルーマニアも地震国として知られています。1977年3月4日に発生したルーマニア地震(M7.2)では、首都ブカレストを中心に約1,500人が亡くなり、多くの建物が倒壊や損壊などの被害を受けました。今でも市内には、倒壊を免れた建物が一部で残っています。

そうしたことから、ルーマニアでは、日本の防災や耐震・免振技術への関心も高く、日本の専門家も参加した耐震建築セミナーや防災セミナーなども開催されています(※)。
SDGsの目標11「住み続けられるまちづくりを」、意外なところに日本とルーマニアの共通関心がありました。

※国土交通省:報道発表資料(2016年10月20日)
https://www.mlit.go.jp/report/press/house05_hh_000639.html
※日本防災プラットフォーム:イベントレポート(2017年3月15日)
https://www.bosai-jp.org/ja/news/detail/80

第1回:ルーマニア(1)「あまり知られていない地震国」(Facebookで見る)

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