JPFって何してるの?
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ジャパン・プラットフォーム 海外事業部 山崎 陽子 ©JPF
支援は、届けて終わりではありません。支援がどのような変化をもたらしたのか、人々の声を聞き、その学びを次の活動にいかしていく。そのために欠かせないのが「モニタリング・評価」です。

Interviewee:
海外事業部 山崎 陽子
大学卒業後、(学)アジア学院で農業技術と農村リーダーシップを学び、青年海外協力隊(ホンジュラス)を経て、国際ボランティアセンター山形(IVY)やJICAの農村開発事業でカンボジアに駐在。米国大学院で国際農業開発学の修士号を取得後、ミャンマー、エチオピア、ナミビア、ルワンダにおいて、農業・農村開発分野のJICA企画調査員、技術協力プロジェクト専門家、ルワンダ農業政策アドバイザーを経て、2025年9月にJPFに入職。
私は海外事業部で、主にミャンマー事業を担当しています。
具体的には、ジャパン・プラットフォーム加盟NGOがミャンマーで事業を実施する際の、事業申請やその後の各種手続きの支援を行っています。また、ミャンマーに限らず、「モニタリング・評価」も担当しています。
モニタリング・評価には大きく二つの目的があります。
一つは、事業から得られた学びや教訓を整理し、より良い支援に繋げること、もう一つは、寄付などを通じて活動資金を提供してくださった方々に対して、託していただいた資金がどのような成果につながったのかを説明することです。支援活動は、限られた資金や人材を活用しながら、専門的かつ俯瞰的な視点で行う事業審査を経て現場に届けられます。そのため、支援が本当に人々の役に立ったのか、また、活動のアプローチは適切だったのかを振り返り、検証することが欠かせません。

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JPFや加盟NGOは、現地に足を運んで、支援を受けた方々に会い、直接お話を聞くことで、事業の進捗状況や成果を確認するよう努めています。
しかし、残念ながら紛争などの影響で日本人の入国が制限されている地域もたくさんあります。そのようなケースでは現地スタッフや提携団体に定期的にレポートしてもらったり、オンラインミーティングなどでコミュニケーションを取ります。食料や物資を何人に配付できたか、安全な水を何世帯に提供できたか、といった情報が、加盟NGOからJPFに報告書として提出され、支援事業の成果を紐解く材料となります。
さらに、JPFでは、より客観的な視点から事業の意義を明らかにするために、第三者評価も行っています。外部の評価専門家チームが現地入りして、インタビューやアンケート調査を行い、人々のニーズに合致した事業であったか、意図した成果が出ているか、資金が効率的に使用されたかなどを検証します。日本人が渡航できる地域の場合は、JPFスタッフ自ら現地入りして、こうした調査を行うようにしており、最近ではエチオピア、タイ、バングラデシュなどの事業地を訪問しました。単に「計画通りに実施できたか」を確認するだけではなく、その背景にある、関係者や現地の人々の声を拾い上げながら、より立体的に、分かりやすく事業の成果が伝わるよう、心がけています。
こうした取り組みを通じて、事業がどのような成果を生み、どのような教訓を残したのかを整理し、次の支援につなげていくことが、モニタリング・評価の大切な役割だと考えています。
よく用いる手法の一つが、支援を受けた方のパーソナル・ストーリーを聞くことです。 人々が「自分自身の物語」として語る話には、単なるデータでは見えてこない、その人の背景や考え、感じたことが詰まっています。そうしたストーリーを「質的データ」といいますが、特に、支援の成果を他の人に伝える上で欠かせない要素だと感じています。
たとえば、あるミャンマー事業の報告書を読んだ際、最初に目に入るのは「何人に支援を届けたか」「どの程度成果指標を達成したか」といった数字です。しかし報告書を読み進めるうちに、その数字の背景にいる人々の姿が少しずつ見えてきました。そこには、紛争により住み慣れた家を追われ、避難生活を余儀なくされながらも、3人の子どもを育てるシングルマザーの女性や、困難な状況のなかでも仮設テントで学び続ける少女の姿がありました。少女は、英語が好きな科目だと話し、将来は医師になって人々を助けたいという夢を語っていました。
支援によって住居の安全性が改善されたことや、学習を継続できる環境が整ったことは、数字として成果に表れています。しかし、こうしたストーリーを通じて読むと、その数字が人々の暮らしや将来への希望にどのような意味を持っているのかが、より具体的に理解できます。 こうした質的なデータは、定量的な指標だけでは捉えきれない変化を理解するための重要な手がかりだと考えています。報告書の「行間」を読むとは、数字の裏側にある人々の経験や声を丁寧に拾い上げ、支援の成果をより実感をもって理解しようとすることだと考えています。

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近年、世界情勢はますます不安定になっています。テレビやネットなどのニュースで映像を見ることはできますが、そこから一歩踏み込んで想像する力がとても重要だと思っています。
「もし自分が、あの国の、あの場所に生まれて育っていたら——」
私自身、これまで駐在したさまざまな国や地域でそう考えさせられる場面が何度もありました。
かつてエチオピアで農業開発の仕事に従事していたときのことです。
ある時、車で僻地を通過していました。そこは、荒涼とした大地がどこまでも続く乾燥地帯で、耕作地はほどんと見当たりません。自然資源も乏しく、樹木もまばらで、農耕にも居住にも不向きな地域でした。わずかな人々が牧畜で生計を立てているようでしたが、町らしい町もなく、荒れ地に道だけが延々と続き、すれ違う車もほとんどありませんでした。
そんな風景のなか、通り過ぎた道端に、10歳くらいの少女が立っていました。埃っぽい緑色の布地のワンピースに、裸足で、長い棒を杖のようにして持っていました。近くに小さな採石場があり、そこで働く数少ない人々の家族だったのかもしれません。車はそのまま通りすぎましたが、私はずっとその少女のことが気になっていました。一体、あの子は学校に行っているのだろうか。ちゃんと毎日食べているのだろうか。その食料はどこで入手できるのか。これから先も、あの場所で暮らしていくのだろうか。
そして、もし自分があの場所に生まれていたら、どうやって人生を切り拓いていけばよいだろう、と考えました。まずは小学校に通わなければなりません。近年、エチオピアは初等教育の就学率が向上しているので、おそらくあの地域にも小学校はあったと思います。その先はどうでしょう。なんとか中学校も行きたいところですが、おそらく未舗装道路を30キロほど離れた町まで行かないと、中学校はありません。親の伝手を頼って下宿先を見つける必要があるかもしれません。学年が遅れることもあるでしょう。それでも何とか中学校を修了したとします。
その後は、同じ町で働き口を探すことになるでしょうか。道端でコーヒーを売るか、商店の店番をするのかもしれません。わずかでも収入を得ながら、もし職業訓練を受ける機会があれば、縫製などの技術を身につけられるかもしれません。あるいは、州都近郊の工場に出稼ぎに行くことも考えられます。しかし、果たしてそんなに全てが上手くいくでしょうか・・・。荒れ地を走る車の中で、そのようなことを想像していると、あまりの困難さに気が遠くなる思いでした。

ルワンダで出会った農家の親子と ©JPF
私たちは、たまたま日本に生まれ、安定した社会や経済の恩恵を受けていますが、それは本当に「たまたま」に過ぎません。生まれる場所が違えば、地震や紛争によって一夜にして財産を失ったり、自分や家族が命の危険にさらされたりすることも現実に起きています。
ぜひ、これを読んでくださっている皆さんも、そうしたニュースを目にしたときに「自分があの場所にいたら」を想像してみてください。ニュースの向こう側にいる人々が、今、「どんな支援が必要なのか」「何を感じているのか」。少し立ち止まって考えるだけでも支援の力につながっていくと思います。
ジャパン・プラットフォームには45以上の日本のNGOが加盟していて、それぞれが得意分野をもってさまざまな国・地域で活動しています。このような多岐にわたるネットワーク、知見をもっていますので、世界で何が起きているのかを、少し余裕をもって深く知るきっかけを提供できる存在だと思っています。
皆さんにとってジャパン・プラットフォームの活動が、世界の出来事を「遠い場所の話」としてではなく、「自分ごと」として考える入り口のひとつになれたらうれしいです。ぜひ、JPFの活動へのご関心やご支援をよろしくお願いいたします。

ナミビアの農業プロジェクトの同僚たちと ©JPF